ハクチョウノミズウミ

雑多なごった煮。

人とロボットの話

あなたは大富豪だ。数日前に注文したドイツ直輸入のエールビールが届き、さあ飲もうという時に、「ステンレスのカップで飲むときめ細かい泡が立って美味しいらしいよ」と加藤英美里似の妻が言うので、せっかくならと新しいカップを買うことにした。
しばらくして、伊勢丹の訪問販売がやってきた。見ると、2つのステンレス製カップがある。見た目も、使い心地も、全く同じだという。ただし、片方は20000円、もう片方は3000円の値がつけられている。

20000円の方は、燕の工場にて1枚のステンレス板を折り曲げて形作り、職人が丁寧に研磨をかけて仕上げた一品。
3000円の方は、折り曲げと研磨を、職人の技を忠実に、完璧に再現した機械で行った一品。

さあ、どっちを買う?


大学からの帰宅の折、同期と出会って話をした。彼は教師志望なので、教育に関する話が出てくる。

「将来、人間の仕事のほとんどをロボットがこなすようになる。教育も例外ではない」と彼は言う。

調べてみると、10~20年後には人間の行う仕事の半分がロボットに置き換えられるらしい。
thepage.jp
基本的には(情報工学専攻だからかもしれないけど)、ロボットへの置き換えはどんどんやるべきだと思う。特にコンビニ店員とか。最低賃金スレスレで雇ってとんでもないマルチタスクをやらせるんだから、あれこそ無人にしてしまったほうがいいと思ってる。

でも、だとすれば。
人としての価値はどこにあるのか?

そこで最初の話に戻る。彼は、前者を選ぶという。

富裕層の立場であれば、職人が作った方を買う。商品そのものに対してではなく、職人が割いた時間に対して金を払いたい」

自分も前者を選ぶ、と返した。
精神論は好きじゃないし霊的なあれそれも全く信じていないので矛盾するかもしれないけど、職人が手作業で作った方には、機械には埋められない、17000円分の思いがこもっているんだと思う。いくら機械が精巧であっても、絶対に埋められない何かが。

ロボットがなんでもこなす世界において、人間が生きる道は、そんな「思い」を生み出していくところにあるんだな、と思った。
古代ギリシャでは、奴隷がすべての労働をこなし、それを使役する者は数学に、あるいは哲学に時間を費やした。未来においては、奴隷がロボットに置き換わるだけなんだろう。そして、労働から解放された人間は、思い思いに時間を使う。文明は最新鋭のまま、社会構造が古代に退化していく。あるいは進化かもしれない。

そんな世界で、自分はどうやって生きていけばいいのか、しばらく思案した。
情報工学を学ぶ以上、自分はいずれ、3000円のカップを作る機械を動かすような立場になる。
その中でなお、自分の「思い」を生み出していくとしたら。



ロボットが、残り17000円分の「思い」を込められるようになったら、どんな世界になるんだろうね?